終戦記念日

花を植えよう


かんかん照り
かんかん照り


石が砕ける
砂が砕ける


「戦争」が終わって
何もかもが消えてしまった
この土地に
涙の水でお花を植えましょう


またこの土地に愛があふれますようにと



わたしのおとうとは
少年兵

「出兵のときには20本の竹槍を持参のこと」

戦争も終局に近づいた
町から男たちはいなくなった
わずか12歳の少年に「学徒動員」の出兵命令
国から与えられる武器など
もはや無く
送り出した弟は
みんなが作ってくれた千人針と
お母さんがつくってくれた千人針と
私が作った千人針と
「三重のお守りだね」と、半分だけ笑って...


体よりも大きな竹槍10本づつの束を、右の手と 左の手に
電車に乗って戦火の中へ踏み出して行きました

ある日、鹿児島から一枚のハガキ


「お母様、お姉さま、お元気ですか。 
私は南方出兵の船に乗る準備をしています。元気に頑張っています。 
先日おなかをこわし下痢をしました。 
お薬を送ってください。 」


乗るはずだった沖縄へ向かう船に 彼は乗れなかった


8月14日の午前中
 彼は鹿児島で病死した
劣悪な環境で、もともと病弱だった彼が罹患したのは「赤痢」だった


終戦をむかえ人々に平和と安堵の日々が訪れた
彼の母と姉は
弟が戻ってくる日を指折りかぞえて待っていた
送った袋いっぱいの「正露丸」が彼に届いたのか届かなかったのか
そんなことはどうでもよかった

まさか12歳での旅立ちが永遠の別れになると
いったん覚悟はしたものの
彼がほんとうに紙切れひとつになってもどってくるとは思っていなかった

終戦のその日
 ふたりは戦争が終わったことに涙を流して喜んだ
「再び彼がかえってくる」と



その終戦のたった一日前
ひとりで静かに目を閉じた
彼の旅立ちを知らずに



終戦の日が訪れるたび母は
百日草の花を切りながら
「学徒動員」で出兵していった幼い弟の話をした

おばあちゃんがお墓にかざるために植えた花は


菊ではなくて 「百日草」

「百日草の花は、百日、花が咲いているんだから」


お墓に飾る分をつみながら


そう言っていつも笑った




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